悩める中年が思う「人と比べない生き方」

僕は今年8月で40歳になります。
「40歳」という年齢について、とくに感慨はありません。
節目だとか人生の折り返しだとか、全くと言っていいほど意識していません。

周りが気になるお年頃

ただ、この歳になると周りの友人知人の中には
会社を立ち上げ独立したとか、役員になったなど、社会的に自立したり
また、成功をおさめた人も出てきました。

そういった話を聞くと、つい「それに比べて自分は・・」という気持ちが湧いてきます。
零細企業で安月給、それでいて胃の痛くなるような日も少なくない中で働き、
「俺は何をしているんだ」「どうなりたいのか」など、自問自答してしまいます。

でも今の自分は結局のところ「自分が過去選択してきた結果の集積」です。
何も誰かに強制的に人生の進路を決められて今に至る訳ではありません。
「してこなかった」結果の今です。が、「やってきた」からこその今もあるはずです。
例えば「家族の事を思えば独立したくてもリスクがあるので出来ない」とします。
結果「裁量がない」「勇気がない」と情けなく考えがちですが、
逆に言うと「それだけ家族の事を思えている」ということです。
その事自体、何も恥ずべきことではありませんよね。

人を羨む事の愚かさ

では「それに比べて自分は・・」とは、何と自分を比べてるんでしょう。
権威、権力、名誉か、または自由か、様々考えた結果、
僕の場合は極論で言うと「お金」でした。
しかし、独立し個人事業主となっても収入が無ければ意味ありません。
結局は、独立し成功した友人知人が掴んだ「豊かさ」に嫉妬し、羨望し、自省していたのです。

いい車に乗って、デカい家に住み、いい時計して・・といった欲は
誰しも形は違えど持っていると思います。
僕ももちろんあり、しかもどちらかというと強い方です。
しかし、それを叶えるために今までどれほどの行動をとってきたか?というと
とってないんです。
その間、成功を掴んだ友人知人は、努力し行動してきたのでしょう。
行動もしてないのに、自分には手に入らないモノを持っている人の事を羨む事ほど
人として醜いものはないです。
なので、結局は自分に出来る範囲で頑張っていき、少しづつその範囲を広げていく
努力をしていくのが懸命だと思っています。
上を見て羨み、下を見て留飲を下げる人間になどはなりたくない、と。

お金の他にも大事な事はたくさん

もちろんお金は超大事です。でもそれは「※目的と人によって」という注釈がつきます。
例えば、「生きていく上で」という意味では、ほぼ人類に共通した
最も重要な価値観だと思いますが、
「欲しいものを手に入れる為」だとどうか。
それは結局個人の物欲の為であり、例えばある人がその物欲を叶えるために
家族や健康など、何かを犠牲にしてまでお金を得た、と聞いたら
本人はどうあれ常識的に考えて良い印象ではないと思います。
もし家族に辛い思いをさせたのなら、その上で得た「お金の価値」とは
いったいなんだろう?と思います。
もちろん何の犠牲も払わず周りを幸せにしつつ物欲も叶えている人も
いる訳ですが。

ということで結局キリがないのです。
なので、「お金も大事だけど他の大事な事にももっと注意を払おう」と思うのです。
僕の場合、妻と2人の子ども達という「家族」が最も重要で大事な存在です。
自分の命よりも大事です。
であればその家族の為に自分は「何ができるか」「どうあるべきか」を日々考え行動し、
その中で得た喜びや幸せを自分の人生の“生きがい”として生きていきたい、
という風に考えるようになりました。

結びに

人間社会で生きている限り、他人を目に入れず生きていく事は出来ません。
であれば、どんな他人を目に入れても動じないために、自分の人生の“軸(生きる意義や目標)”を築き、
それを基礎とし「自分にとっての大事な事を」をしっかり認識していれば、
他人に嫉妬したり羨んだりといった事も、一時感情としては起こっても
本質的には惑わされる事はないと思います。