逃避行への憧れ

今朝、通勤で最寄り駅へ向かう途中、今年一番の「蝉の声」を聞きました。
去年はたしか6/18。またこの季節が来たなと実感します。

ここしばらく仕事での悩みを多く抱え、出勤の足取りも重い毎日を
過ごしています。

そんな時、最寄り駅に着くところで
「このまま駅を通り過ぎて先にある公園で1日過ごしたらどうなるやろ・・」
そんな事が頭によぎったこともあります。

または勤務先への沿線乗り換えの時、
「地下鉄に乗り換えず、高野線に乗り換えて高野山まで行けたらな・・」
とか。

同じ様な事を考えた人、または実際に行動に移したことのある人も
世の中にはたくさんいるんじゃないかと思います。

僕は行動に移しません。
そうしたところで、根本の“悩みの種”は解決しないからです。
でもそれは自分への言い訳にも感じます。

以前ブログでも書きましたが、妻は去年一昨年と命に関わる大病を患い、
僕は2度、“妻の死”という事を嫌でも想像させられることになりました。
その時に「今までの自分の悩みや辛さはなんて取るに足らない事だったんだろう」
「妻が無事に生きてさえいてくれれば他のどんな苦しい事も屁でもない」
と確かに思ったのです。

その気持ちは今でも持っていますし、変わりません。

でも実際は今、目の前のしんどい「現実」から目を背けようとして
“逃避行”を夢想してしまうような状況です。
我が事ながら、人間とは弱く勝手なものだなとあきれる思いです。

今日、仕事で仲の良かった取引先の人と会いました。
彼は転職が決まっており、今後気軽には会えない遠い地へと移り住みます。
彼とはよくお互いの仕事の愚痴や辛さをよく話しており、
彼の仕事としんどさ具合をよく知っていただけに、本当に良かったなと思います。

不慣れな地に転勤、ではなく、新たな地で心機一転、です。
僕の逃避行とは対極の追求行。

「残された者の身」としては寂しい気持ちもありますが、
心から彼の健勝と活躍を願ってやみません。

僕も逃避ではなく、困難にも立ち向かい、幸せを希求していかなくては、と
思い改めた次第です。