妻のこと

人間というのは勝手なもので、失ってからでないとその大切さに気付かないようです。
そのことを妻が、身をもって再認識させてくれました。

 

看護師になるまで

僕と妻は同じ高校の同級生で、17歳からの付き合いですから、かれこれ知り合って23年になります。
17歳以降、僕が原因で紆余曲折ありましたが、結婚まで基本ずっと付き合いは途切れず今に至ります。
28歳の時に結婚、その年に長男が産まれましたが、それ以前から35歳まで妻はアパレル販売員として長い間働いていました。

34歳の頃、突然「看護師を目指そうと思う」と相談を受けました。
当時販売員として既にある程度カレンダー通りの休みでなかったので、それ以上に過酷な勤務が予想される看護師になることを、
子どもの事を考え僕は反対しました。

ただ、彼女の中で、販売員としての限界や先行きの不安から、ライフステージ全体を見据えた上での
固い決心だったようで、話し合いの結果、僕は納得しました。
妻の母親が看護師ということも、その年齢で看護師を目指すという困難に立ち向かう後押しになったのかもしれません。

 

看護師になってからの苦難

35歳から10代の同級生に囲まれ、看護学生生活をスタート。
3年後の38歳で晴れて無事正看護師の資格を取得し、総合病院で看護師としてのキャリアをスタートさせました。
今年で3年目なので、まだまだ新人です。

1年目は上司の“新人いびり”に遭い、精神的にかなりキツい日々で、話を聞くたび僕も憤りと心配で
胸がいっぱいになったことを覚えています。
ただそれはその後の苦難の1つに過ぎなかったのです。

 

病気の発覚2019

精神的肉体的に過酷な日々を送る1年目の夏、妻が以前からの腕のしびれを気にし、
勤務先とは違う医院で診てもらった結果、首の中程に大きな腫瘍が見つかりました。
それから勤務先の総合病院~市内の病院と検査のグレードを上げていくにしたがい、
状況が明るみになりました。
病名としては「神経鞘腫」。悪いことに妻の場合、中枢神経部分に大きな腫瘍ができていたので、
このままだと下半身不随や、自力呼吸困難などの恐れがある、また腫瘍なので、悪性の可能性もあり、
手術で病理検査にかけてみないと分からない、と紹介されたその筋の権威である医師に告げられました。
「今、まっすぐ歩けているのが不思議なくらい」という状況だったようです。

それから2019年11/19の手術まで、心配と不安から日々の記憶があまりないほどの毎日でした。
何より妻自身の気持ちを考えると察するに余りあります。
そして8時間にもおよぶ手術の末、無事に腫瘍のほぼ全ての摘出に成功、病理検査の結果も良性とのことで、
やっと人心地が付きました。

 

病気の発覚2020

苦難はそれだけで終わりませんでした。
大変な手術を終えた翌2020年春、今度は妻が受けた婦人科検診で「子宮頸がん」が発覚します。
さすがに妻も僕も参りました。目の前が真っ暗になる、とはこういうことかと。
円錐切除手術後の病理診断は、ステージⅠb。2020年7/31に卵巣を残し、子宮摘出とリンパの一部を切除する手術を受けました。
それから約8ヵ月、現在の所再発や転移等は発生しておりません。
しかしなんといっても「癌」です。今後なにごともなく経過することを祈るばかりですが、こればかりは分かりません。
何があっても妻を支えよう、と決意しています。

 

「普通」は普通じゃない

普段、僕たちは“普通に元気でいる事”にありがたみを感じ、ありがたさに気づくことはあまりありません。
でも自分や家族が元気でいられることが、本当はどれほどありがたく尊い事か。
妻がこういう事になって、改めて心の底から実感しました。
健康以外の事にも言える事ですが、やっぱり「命」に関わる事より大事なことはありません。

今は「普通」や「当たり前」の事に心を配り、感謝しながら生きています。
また、そういったことから、僕が毎日家の事や妻のサポートをできる事自体ありがたいと心に思いながら
日々あくせくしています。