歳をとるとなぜ「涙もろくなる」なるのか?

突然ですが僕は時代小説家の藤沢周平が好きなんです。
文庫本で全作品の7~8割は読了していると思います。

藤沢周平のどこが良いか、その作品の魅力などは、いずれまた
取り上げてみたいと思いますが、今回は違う話です。

つい「うるっ」と来た自分に驚き

つい先日の事。
まだ読んでなかった藤沢周平の短編集『時雨のあと』を買い、
いつものように帰宅時の電車で読んでいました。

今までも、氏の作品では胸にジーンと来る感動が有ったり、
登場人物の辛い境遇に感情移入してしまうことは何度もありました。

しかし今回はレベルが違いました。
表題の短編「時雨のあと」を読み終えるかいなかの所で、
目にうるうると涙がたまり、もう少しで落涙するところでした。


※亡き藤沢周平氏。僕の最も敬愛する作家です。

最近涙もろくなってきた考察

僕は昔から感動はすれど、涙腺は固い方でした。
特に映画や本など外部情報でもって「泣かされた」というのは、
高校の時見ていた「フランダースの犬」のおじいさんが死んだシーン以外、
ありません。

※最終回のネロが死ぬシーンより、おじいさんが死んで1人ぼっちになってしまう方が
見ていて辛かった。。

それがこの頃ダメなんです。
TVを見ていても、特に辛く悲しい状況の“子どもが出てくる系”のものは、
すぐに涙腺に来て、あまり見ないようにします。
直近では映画「ボヘミアンラプソティ」でもフレディの境遇に
涙してしまいそうになりました。

別に泣いてもいいのですが、なんとなく子ども達の前で
泣きたくないという気持ちが強く、いつも堪えています。

昔はそんな事なかったのに、なぜここ最近、感情が涙に直結する事態に
なったのか?僕なりに考えてみました。

涙もろくなってきた理由を考える

考察①
年齢とともに様々な辛い経験をし、「人生の苦しさ」を分かってきた。
それにより、本や映画などフィクションであっても、その登場人物や
ストーリーに深く没入し、感情移入の度合いも深くなった。
⇒これが大きいと思います。大変な思いをした人ほど、その共振度合いも
大きくなるのではないでしょうか。

考察②
自分が子どもを持ち、人生で初めて本気で「自分以外の人間のために生きる」
ということを知った。
⇒人の為に生きるというのは、その裏に様々な我慢や葛藤もあり、また見返りを求めない
「無償の愛」がなければ出来ません。その尊い経験があればこそ、深い感動を呼ぶ結果に
繋がるのかもしれません。

考察③
老化による感情抑制機能の低下
⇒大脳の中枢部が老化により機能低下してくることが原因らしいです。
これは生物学的にも有力説だそうです。

 

僕自身の経験から、やはり①と②は個人的に要因としては大きいのではないか
と思っています。

まとめ

過去を振り返ってみた時、人生のターニングポイントはいくつかありますが、
それ以前と以後で、性格や考え方が「ちょっと変わったかも」と
後になって思う事があります。

しんどい事も楽しい事も、捉え方とその後の考え方次第で、
今後の自分を良い方向にも悪い方向にも持っていくでしょう。

しかし、少なくとも「涙もろくなってきた」というのは、
おそらく今まで人生経験の処し方として、悪くはなかったのではないか、
と思ったりします。