小さな“気付き”を楽しむ

僕の勤務する会社では、先週から「時差出勤」を初めています。
大阪でのコロナ変異株や新規感染者の急激な増加による対応です。
出勤体制は、通常出勤~早めに退勤と、遅めに出勤~通常退勤の
2組に分け、少しでも通勤ラッシュを避けようという目論見ですが、
まあ気休めでしょう。

 

小さな気付き

僕は先週、遅めに出勤組でした。
いつもより約1時間30分程、家を出る時間を遅らせていて、
AM10時少し前に家を出ていました。

普段は中高生の登校や、出社する勤め人で、駅までの道も騒がしいですが、
10時前だと見かける人は、せいぜい近所のスーパーの“朝市”へ向かうお年寄り
くらいでした。
もうめちゃくちゃ静かです。
「何かへんだな」と思って意識すると、その静けさの他にも色々気付きがありました。

・普段では聞こえない、虫の「ジージー」という声が、静けさの中で耳朶に響く。
夜は聞くが休日の日中午後は聞かない。
・普段と空気が違う。朝早くだとピンと張りつめたようなヒンヤリした空気が、
日が昇って気温が上がり、“草いきれ”とムッとする湿気を含んだ、暖かな空気感。
・駅周辺の商業施設では、開店準備と共に一見主婦とみられる中年女性が多くいる。
店舗に勤める人の出勤か、買い物客かの見分けがまったくつかない。

 

気付きを楽しむ

上記は別に何も大した事ではありません。
気付いたところで、自分の人生に影響を与えるとか、有益になることでもないです。

ただ、「気付かない」か、「気付いても何も感じない」か、
「気付いて何か感じる」か、の違いです。
僕は「気付いて何か感じた」というだけの話ですが、僕にとってそれは
楽しい事でした。

まず、普段と違う違和感を感じた時、ほんのちょっとした“異世界”に居る、と
想像しました。
普段見慣れている道を歩いているはずが、いつの間にかほんの数ミクロ
時間軸のズレた世界に入ってしまっていた・・。そんな風に想像してしまったのです。
“静けさ”に気付かない内は、おそらく無意識下で“違和感”として捉えていたので、
そんなバカげた想像をしてしまったのかと思います。

その後、先述したような“普段と違う点”にすぐ合点がいっていったのですが、
平日のそんな時間帯の地元など普段は知らないのですから、
やはり気付きはいくつもある訳です。

 

日常にも気付きの種は落ちている

柳生新陰流https://ja.wikipedia.org/wiki/柳生氏の柳生宗矩が言ったとされる言葉で、
その後柳生家家訓となった言葉で以下があります。

小才は、縁に出会って縁に気づかず
中才は、縁に気づいて縁を生かさず
大才は、袖振り合うも縁と成す

26~27歳の頃、本を読んでいてこの言葉に出会い、なるほどと感銘を受けたものです。

普段僕らは日常、目の前の事に集中しつつ、先の予定の事も考えながら
刻々と過ぎる時間の中を生きています。
その中で、違った視点を持ったり、意識を違った点にそそぐ、といったようなことは
なかなかしません。

今回の僕の気付きは縁=人ではありませんが、
もしかしたらそういった「気付きの種」はそこらじゅうに落ちていて、
それを拾い集めることによって、いつの間にか「縁」と成ることも
あるかもしれません。

 

もしこのブログを読んでくださった人が居たとしたら、
それは僕の小さな「気付き」が取りなしてくれた「縁」だとは言えないでしょうか。