血は水よりも濃いか

これまで家庭を持ち、子供を育ててきて、この歳になると
自分の両親の気持ちが分かる時があります。

特に同じ男である父。「ああ、親父はあの時こんな気持ちだったんだろうな」
などと、ふと感じる時があります。

それは理屈ではなく、まさしく「血」が思い起こさせる感情のように
思います。

 

父の背中を追ってきた

僕は幼少時代、何不自由なく両親の愛情も多く受け育ってきました。
恵まれていると言えるかと思います。
ただ今になって思えば、両親、特に父は「親は親、子は子」と明確に線引きしている部分があり、
僕が小学校6年くらいからでしょうか、どこかで「認められたい」という願望が芽生えました。

父は僕との間に、何か目に見えない“段差”を設けているようで、
対等に認めて欲しくば登ってこいと言われているような、ある種の隔たりを感じ、
寂しく感じるとともに、躍起になって知識や経験を増やそうとした時期もありました。

今思えばおそらく父にそこまでの“線引き”などしてる自覚はなかっただろうとは思います。
後で分かったことですが、要は性格だったのです。
「どうせ知らんやろ」というある種“驕り”のような部分が、そう感じさせる言動となっていた
というだけです。

なぜなら父は、映画や音楽など芸術への知見がまさに博覧強記という人で、
とりわけ音楽に関しては、その愛情深さゆえに造詣の深さが半端ではありません。

物心つく前から家や車で、古い英米ロックやR&B、ソウル、ジャズなどが流れる家で育てば
その影響を受けないはずはありません。
はたして僕も立派な“音楽バカ”になった訳ですが、
その出発点は父であり、また父に認められたい、対等に話したいという父への憧憬の念が
あったことは認めざるを得ません。
ただ当時、背伸びしたい盛りの息子への対応に不器用であろう父は、多くを語らずで、
必然的に僕は父の背中を見つつ追ってきました。

 

お互い“薹がたった”事により

父は今年70歳、僕は40歳になるという所にきて、
最近ようやく衒いや気負いなく、音楽談義やその他話しが出来るようになってきました。
父の方から、知らない事で興味を持ち僕に教えを乞うてくることなどもあり、
昔は想像だにしませんでした。まあまだ僕から教えを乞う事の方が多いですが。

それはなんとなく、「お前もよう頑張っとるやないか」「よう知っとるやないか」と、
不器用な父が言葉では表さず体で示してくれているようで、
こそばいようで本心では嬉しいです。

「好き」を突き詰めてきた者同士しか分かり得ない時間を
父と共有できる事に幸せを感じます。

 

血は水よりも濃い

子どもの頃は「血は水よりも濃く」あって欲しいと願うものではないでしょうか。
でも歳を重ねるにつけ、幼少期の記憶にある両親の行動や言動と、今の自分が取った
行動や言動が、符号する時があります。
そういう時、父母の当時の心境が理解でき、またその性格なりを知らぬ間にしっかり
受け継いでいることを自覚し、いやがうえにも血の縁を認識させられます。

ただ良い部分だけを受け継いだならまだしも、悪い部分を受け継ぐ場合も
ある訳で、例えば先述した父の“驕り”のような部分は、僕自身、ある時
自分で「同じやん・・」と自覚したような事もあり、
“反面教師”として上手く矯正する努力が必要だったりします。

世の中には親子の縁を切りたい、切ったという環境の方もたくさんいます。
しかし血の縁は切れません。
ヤン・ソギル氏の『血と骨』ではありませんが、
それは生涯背負っていかなければならない運命であり、
出来る事ならその運命を憎まず恨まず、感謝の方向へと持っていけると、
自分の人生のベクトルも幸せの方へ傾けられるのではないでしょうか。