僕の苦手克服術

今でもおおむねその素質はあるのですが、僕はビビりでヘタレで
無精で、嫌な事や面倒な事からは逃げたい、というタイプの人間でした。

「でした」と過去形なのは、今ではいくらかは改善され、なんとか
社会の一員として、また家庭を持つ者として頑張れているからです。

そこでどのように改善していったのか、克服術を挙げてみたいと思います。

 

「ヘタレ」の根を始めて引っこ抜いた時

僕は専業主婦の母のもと、両親からのたっぷりの愛情に包まれ
ぬくぬくと育ちました。(因みに長子で、下には3つ下の妹がいます)
言うまでもなく幼少期は“甘えん坊”でした。

ただ幸いな事に“活発”でもあり、小学校では多くの友達もでき、
学校生活が辛い、嫌だと思ったことはあまりありません。

ですが、どうしても嫌で嫌でしょうがない行事があったのです。
[縦割り]といって、1年1組と6年1組、5年2組と2年2組といった具合に
同じ組の低学年と高学年が一緒になって、月に1度ほど“遊ぶ”という
だけのものなんですが、どうしたわけか僕はその[縦割り]が嫌で嫌で
しょうがありませんでした。まあ引っ込み思案だったのでしょう。

忘れもしない小学2年春、「今週縦割りがある」ということで、死へのカウントダウン
かのごとく、当日まで憂鬱な日々を過ごしていました。
そしてついにその当日、朝の登校時に色々と考えていたのですが、
何の脈略もなく、ふと前の日曜にお見舞いにいった祖母のことが浮かびました。

 

祖母が気づかせてくれたこと

母方の祖母は重いリウマチと癌で、僕の物心つく頃から
ほぼ入院生活を送っていました。
非常に優しく、若いころの写真を見ると美しい人なのですが、
僕の知っている祖母は、度重なる手術と長く終わりのない入院生活で
心身共に疲れ果て、文字通り“骨と皮”にやせ衰えた姿です。
ほとんど毎週お見舞いに行く度にその姿を見るにつけ、
子ども心にも痛々しく、かわいそうだと思っていました。

そしてその[縦割り]当日朝、ふと数日前に見舞った祖母の事が浮かぶと同時に、
以下の様な事を思ったのです。

<おばあちゃんはあんなに痛く辛くしんどい思いをしてる。
僕は縦割りが嫌だ、もう死にたいなどと思っているけど、これはおばあちゃんに
申し訳ないぞ。縦割りをしても手術で切られる訳でもなく、病気でもない、
おばあちゃんの苦しさに比べれば屁でもないのに、恥ずかしい。
おばあちゃんの為にも嫌と思わず頑張らな!>

てめえが頑張ったところで祖母の為にはならないんですが、
「おばあちゃんよりマシ」と比較するのではなく、
ハッキリと「申し訳ない」「恥ずかしい」「顔向けできない」と
子どもなりに思ったことを記憶しています。

それが気持ちの転換に繋がり、嫌は嫌でしたが“姿勢”が変わりました。

後に、これは何もおばあちゃんだけじゃない、自分より辛い思いをしている人や
努力をしている人、それに比べ今の自分はどうだ??と自問自答し、自戒する
「癖」というか思考パターンが付き、おかげで苦手や困難を克服できたことは
数多くあります。
全てのきっかけは祖母で、祖母のおかげだと心から感謝しています。

 

思考の“応用”でここまで来れた

その後も中学、高校、大学とそのライフステージが変わるたびに発生した、
友達関係や学校生活での“苦手”や“問題”に、その都度対応してきましたが、
大学卒業後、新卒で入った会社で経験した問題は、それまでの学生生活の
比ではありませんでした。
まあ、今思えば“ブラック”に近かったというのもありますが、当時は
社会人はつくづく厳しいものだ、と痛感したものです。

それでも事あるごとに祖母を思い出し、心の中で「おばあちゃん、見守っててくれ」
と言いながら、なんとか例の“思考パターン”を応用させ、時に無理やり適応させながら、
乗り切っていきました。
例えば、理不尽な人が居たとしたら、「この人は生まれた時からこうだった訳では
ないだろう」と考え、あえてその懐へ飛び込み、不躾な質問などをしました。
すると案外と色々と答えてくれたりして、意外に悪い人じゃないな、などと思ったりします。

 

辛い時はともすると「自分だけが被害者」なような気持になりがちです。
僕の経験上、被害者意識のうちは絶対に困難を克服したり、乗り越える事はできません。
冷静に、客観的に自分を見つめ、“困難”の対象と自分を俯瞰して捉えることにより、
克服する術への糸口が見えてきます。

今の僕にとって問題に対峙する活力は、「祖母に恥じないような生き方をする事」です。