自分の存在意義

初めに言っておくと、自分の存在意義など考えてもしょうがないです。
僕は、いかに人の役に立てるか、周りの人を幸せにできるか、
そして自分自身も幸せを感じれるか、それだけを最低限考えてれば良い、と思っています。

が、ときおりアレコレ考えざるを得ない時にも遭遇します。

 

自分の無力さを感じる時

先日、自宅で家族揃ってわいわいと夕食を摂っている時、
妻のケータイが鳴りました。
妻はその内容を見て、軽く絶句している様子が見て取れ、僕は
「どうしたのか」と尋ねました。

どうやら、妻がついさっきの勤務まで元気にコミュニケーションを取っていた
患者さんが亡くなったとの連絡ラインが同僚よりあったようです。

「また明日ね~って話してたのに・・」とショックを受けているようでした。
僕はその時どう言葉をかけてよいものか分からず、
「そうか、辛いな・・」と間の抜けた事しか言えませんでした。

患者さんとの関係性や、やり取りした時間などの背景を知らないので、
何も言えないのはしょうがないかもしれません。
それでも肩を落としている妻に対して、かける言葉も見つからない
自分の無力さ、無能さを感じました。

家庭に仕事を持ち込まない妻だからこそ

妻は脳神経外科病棟の勤務で、患者さんを看取ったり、死と対面することは
日常少なくはない環境です。が、やはり患者さんとのやり取りがあれば、
その分人間関係も出来る訳で、そういった方が亡くなると心が痛むことは
想像に難くありません。

僕ら一般社会で働く人間が、日頃どれだけ他人の「死」と対面するかと言ったら、
親族や同僚などあるかもしれませんが、頻度で言うと多くはないでしょう。
そういった面では、やはり看護師は辛い仕事です。

妻は仕事での「愚痴」や「出来事」などを僕に話してはくれますが、
基本的に「暗い話題」はプライベートに持ち込みません。
それは彼女のポリシーだと思います。

勤務する科によりますが、人の「死」と直面する機会の多いであろう職に就く
妻に対して、僕は何が出来るだろうか、どのような家庭環境で包み込むのが最良なのか、
そもそもそんなことは余計でおこがましいことなのか?など、
いささか考えてしまいます。

なるべく仕事を家庭に持ち込まない妻だからこそ、
夫として余計に妻の心を案じてしまうのです。

「存在そのもの」に意義がある

あれこれと考えても結局答えはありません。
たまに妻にどうして欲しいか聞いても「今のままでいい、今が幸せ」と言ってくれます。
ならそれでいいんだと思います。

しかし僕は安月給ですし、気の利いた事も言えないアホなので、
今後も、ない頭を駆使して「自分には何が出来るか」を考えて、
実践していこうと思っています。むしろ実践しないとダメだと。

ただ、逆の立場になって考えてみると、僕は妻に対して
何かを求めているか?というと何もありません。
ただただ健康でいてくれたらそれで良い、ということしか本当にありません。

以前のブログでも書きましたがやはり妻が2度も立て続けに大病に罹った
という経験が、余計にそう思わせています。

もしかすると妻は妻で、自分の「死」とリアルに向き合い、
その上で僕に対しても同じように思っていてくれているのかもしれません。

 

「存在しているだけで意義がある」のだとしても、
少なくとも今日より明日、明日より明後日の自分の方が意義あるように、
一歩ずつでも半歩ずつでも、頑張っていきたいなと思っています。