モラル・マナーの話

ブログが滞ってきました。
書きたい事がない訳ではなく、むしろネタはたくさんあるのですが、
変に「書く」事に慣れてきて、どうやって話をまとめていこうか・・と、
書き出す前に悩んでしまうようになってきました。
細かい自分の性格が憎い・・

 

さて話は変わり、「ソーシャルディスタンス」と聞くと、今やコロナの代名詞の1つとして
知らない人は居ないでしょう。
でも僕はこの言葉を5~6年前から知っていました。
知ったきっかけが今回のテーマです。

 

ソーシャルディスタンスという言葉を5年前に知ったきっかけ

僕は今現在の通勤経路(移動は徒歩と電車)が、かれこれ10年ほど同じです。
電車は、最寄りの私鉄20分、乗り換えて地下鉄で13分の計30分ちょっとを
片道で電車に乗車していることになります。
出社時に乗り換えの地下鉄は始発駅なので、朝の13分は座りますが、
それ以外はほぼ座りません。

乗車時、立っていると時は肩さげトートバッグを前に抱え、片手で本を読みます。
座っている時はバッグは膝の上に置き、本を読んでいます。足は広げませんし組みません。
「ちゃんとしてるでしょアピール」ではなく、それが最低限、当たり前の「マナー」であり、
「モラル」であり「ルール」だと思っているだけなのですが、
もちろん人それぞれその尺度は違います。

今から5年程前、通勤時に2~3日連続して「マナーの悪い乗客」に遭い、
非常に気分が悪かった事がありました。
普段から足を組んでる人やリュックが邪魔な人など多いので、イチイチ腹を立てたり
しないのですが、その時は、
・隣のおっさんの貧乏ゆすりでゆすった足がトントントントン当たる。
・隣のおっさんが異常に足をひろげ、こちらの座っているスペースさえ圧迫してくる。
・満員電車で隣のおばはんがエグイ香水&無駄にかきあかきあげる髪がこちらの顔にあたる。
・順番に降車してるさなか、乗り換えの電車に間に合いたいのか、鼻息が聞こえるほど、
詰めて押してくる、靴を踏まれる。
などがたまたま立て続けに起こりました。

その時、あまりひどい人には注意したいが、このご時世どんな風に言うのがベターかな、
などと思いネット検索してみたんですが、
その中で確か社会心理学の先生かなんかが書いたコラムが目につきました。
そこにはこんな事が書いてあった記憶があります。
[人間社会にはソーシャルディスタンスというものがある。その名の通り“社会的距離感”だ。
その距離感は、人によっては1mであったり、10cmであったりするが、要するにその
“距離以内”に人が居ると、落ち着かなかったり、不快に感じる事がある。
昨今の公共の場、とりわけ電車内でのマナーやモラルに関する問題や人間の衝突は、
この「ソーシャルディスタンス」の感覚が希薄な人が原因の場合が多い]
とまあこんな内容で、なるほどと大変納得しました。
なので感染や医療用語ではなく、社会学用語なんですね。

因みに僕は「触れてなければ」問題なく、「触れたら」不快に思ってしまいます。
なので自然と周りにも触れないようにしています。

 

マナー・モラル警察になる気はないが・・

でも言いたい気持ちになることはたくさんあります。
声高に世に問うなどの気もさらさらありませんが、身近な所でも
「いや、最低限さ・・」と思う事。

最近だと、近所の公園での野良猫への餌やりです。
僕自身、野良猫を保護し病院に連れて行き去勢をした上で里親を探す、
などはなかなか出来ませんので、人にエラそうに注意する権利もないです。

ただ、猫に餌やるならせめてゴミはかたずけかたずけようよ、と思うんです。
餌あげるのに、足が付かない為かわざわざ缶詰のラベルまではがし、水をやるために
カップ麺やらの器を使い、あげたらそのゴミはそのまま。
何日たってもゴミを掃除する気配もなく、近所の子供たちを見守りしてくれている
お年寄りがボランティアでそのゴミを始末してくれています。

本人たちは「かわいそうだから」と良かれと思い餌付けしているのでしょうが、
責任の伴わない情けは情けにあらず、ただのエゴだ、と僕は思うのです。

 

まとめ

どんな人間も社会の一員です。排除することなどあってはいけません。
犯罪等は別ですが、基本的には様々な人が許容されるような社会が良いと
個人的にも思っています。
しかし、人に迷惑をかけてまで我を通す人に対して、周りが泣き寝入りするしかない
というのも間違っていると思います。
それが警察に通報するほどの事でもない場合、当人同士で解決するしか
方法はないのでしょうか。難しい問題です。

そういった事に遭遇したり、見聞きする度に忸怩たる思いがします。