訃報に気を落とす

今年に入り、僕の敬愛するミュージシャンやアーティストが
次々に亡くなっている。

バート・バカラック
トム・ヴァ―レイン(テレヴィジョン)
デヴィッド・クロスビー
ジェフ・ベック
鮎川誠
高橋幸宏
そして坂本龍一

僕自身が1950~1970年代の古い音楽や文化が好きなので、
必然的に影響を受けたり好きになったりするのはその時代の人になる。
そしてそれは「音楽」のみではなく、人である限り
その人の人柄やエピソードなどを知り、つまり色々な要素を含んで“好き”な場合が多い。

また、年齢なら日本で言ういわゆる“団塊の世代”かそれより上の年齢層が多くなるが、
若くても70歳くらい。
高橋幸宏は70歳で、坂本龍一は71歳だった。

僕の父母の世代だ。
こういった訃報に接するにつけ、
否が上にも“父母の死”ということも頭をよぎってしまう。
というか、亡くなってもおかしくない歳なんだという現実を再認識させられる。

全ての人類にとって死は平等に訪れる、などという当たり前の事は頭で理解している。
が、やはり感情は違う。
会った事も無いテレビやCDの中の人ですら、その訃報にショックを受け
呆然としたり虚無感や喪失感に苛まれるのに、
最も身近の愛する人、妻や夫、子ども、親兄弟姉妹、親友などを亡くしたら・・
その哀しみは想像を絶するものになるだろう。
誰でも経験したくないことだが、大事な人がいる限りそれは避けられない。

覚悟などできないし、いったいどうしたらいいのだろう
などと考えてもしょうがないことを考えてしまい、
ここしばらく気を落としている。

せめて悔いのないよう、大切な人とは常日頃からたくさん話をし
想いを共有する時間を持つようにしたいな、と思う。