妻が不在時の寂しさから気づいた事

妻が看護師をしていると、土日祝などは仕事、必然的にママ不在の休日が当たり前ということなります。
子ども達にとって寂しい事でしょうが、それは夫である僕も同じです。

僕にとって妻は全幅の信頼を置く最愛の人で、その存在は限りなく大きいです。
家族の中の“ママ”でもそうですが、僕という一人の人間としても妻の存在は最重要です。
“依存してる”と言えば語弊がありますが、とにかくしょうもない出来事でさえも
話したいですし、また特段会話していなくても居てるだけで落ち着きます。

なので、妻のいない休日は正直寂しいです。
ガキじゃあるまいしその寂しさを表したりすることはありません。
ですが僕ももう「オッサン」とは言え、一人の人間ですので、理性他でカバーできない
寂しさの埋め合わせは、どこかでしないといけません。

寂しさの埋め合わせ

これはもう、普段からのコミュニケーションを密にするより外はありません。
出勤前、帰宅後の「顔を合わせる時間」を大事にし、話をします。
実際、子ども達も同じで、妻以外が家にいた日の妻帰宅時などは
僕、息子、娘で妻の取り合いのような様相を呈する時もあります。
競って話しかける訳です。

子どもが寝た後などいくらでも時間が取れるように思うかもしれませんが、
実際は疲れて子ども達の就寝時に一緒にバタンキューです。
同じような看護師ママさんは多いのではないでしょうか。

 

家族の時間の中で「夫婦の瞬間」を大事にする

家族でいる時に夫婦の会話の中身は子どもの事だけ、な訳はありません。
が、忙しくゆっくり話す時間が取れなければ、そうなりがちです。
特に子どもが小さければ小さい程、そうでしょう。

そういう時こそあえて「自分の事を話し」「相手の話を聞く」ということを
意識し、毎日実践していれば、自ずと相手と意思疎通できている“満足感”
のようなものが得られ、寂しさも埋めてくれます。

その際、相手の目や表情をしっかり見て会話することにより、体調や気持ちの浮き沈みなど
何かを感じ取れることもあるかもしれません。
そういった時「大丈夫?」と声をかける事で、また夫婦の絆を強める事になるかもしれません。
またハグなどのスキンシップも日常的に“普通”に出来れば、より良いでしょう。

そういった瞬間瞬間を濃くする事で、何か特別な夫婦専用の時間を設けなくとも、
安心感は得られ、心の満足度は高まると思っています。

 

“居ない”からこそ気づく

妻が居なくて寂しいからこそ気づきます。
たまには一緒に映画を見たいな、服を見に行きたいな、話を聞いて欲しいな、など
自身の対妻への思いから、または、
お弁当持って家族で〇〇に行きたいな、など家族としての思いなど、
「こうしたい」というのが分かります。
そういった気持ちを丁寧に見つめると、“夫として”“父親として”“一人の人間として”
妻の存在意義やその大切さにも気づくことが出来きます。

それはやはり妻が居ない時間が多いからこそ気づけた、
自分の本心だと思います。