自分の“理想とする家庭像”と現状のギャップ
僕は両親の深い愛情を受け育ちました。
特に専業主婦だった母には甘え、毎日を安心感の中で過ごしていました。
そして自分が家庭を持ち、人の親になった時、自分が育ってきた環境をベースにし、
「理想とする家庭像」を描いていました。が、現実はそう甘くなく、
徐々に現実とのすり合わせをし、いつの間にか「理想の形」自体が
変わってきたように思います。
それは妥協ではなく、適応してきた結果だと考えています。
例えば、親になった事のない人間が、初めての子育てに関する様々な問題に
最初から即座に対応できるはずはありません。
経験を積んで徐々に「親」になっていき、いつしか問題が問題でなくなっていく。
それは適応してきた結果、だと言えると思います。
人の人生においてあらゆる場面でそれは言えることだとは思いますが、
こと「家庭」という小共同体を運営するにあたっては、自分1人の対応では
問題解決に繋がらない事も多く、
そういう点で、「家庭」においてはまず夫婦が理想を共有し、
実現に向けて力を合わせていかないといけない、と思っています。
ですが、夫婦といえど違った環境で育ってきた他人です。
考え方の違いは日常生活のあらゆる場面で、大なり小なり発生してきます。
その時、いかにその溝を埋めることが出来るか。
それには互いの考えを尊重し、歩み寄りの気持ちをもって話し合うことが
大事です。
テーマによってはしんどい時もありますが、そういう時こそ膝付き合わせて
とことん相手を理解し、自分の事も理解してもらうことに努めるべきです。
そういった事を経験していくと、知らなかったことを知り、
気付かなかった事に気づき、見えなかった小さな幸せが見えてきたりするもんです。
そしていつの間にか「相手の理想が自分の理想、自分の理想が相手の理想」に
なっていたりします。
専業主婦の母のもとで育った僕は、結婚当初や妻が看護師になりたいといった時、
また看護師になった当初など、場面場面で悩みました。
もちろん子どもに関してです。子どもがかわいそうだ、と。
自分が育ってきた環境の“良いと思った点”だけを基準にして、
現状との差異を受け入れがたかったのです。
が、その都度妻と話し合い、彼女の考えや理想、子どもたちへの深い愛情を
知るにつれて変わっていきました。
最初は「とまどいつつ」でも「前向きに」でなくても、とりあえず
「後ろ向き」でなく行動していれば、いつしか適応していき、
心に多少のゆとりも出てきます。
ゆとりが出来れば小さな発見も出来、その発見を膨らませれば「幸せの実感」に
変えることも出来ます。
そうすれば、元々あった「理想の家庭像」などどこへやら、
新たな今の「理想」の出来上がりです。
自分の「理想とする家庭像」と現状とのギャップは、埋めるのではなく
“新たに作り変える”のが、最良の手段だと思っています。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません