一難去ってまた一難~父が脳梗塞に~
まったく困難とは続くもので・・
今度は実父が脳梗塞により倒れました。
父の脳梗塞がかなりショック
手術後18日間におよぶ入院から、今日10/26妻はやっと退院します。
2週間も経てばやはり家庭内の状況にも変化があり、
“妻に確認すべき事”なども増えてきました。
ひとまず無事退院ということでホッと一安心・・かと思えば、
先週、父が脳梗塞で倒れる、という事が起きました。
現在父は病状の安定の為の投薬治療と、右半身の麻痺のリハビリをしています。
「父の死」という心配から胸が張り裂けそうで、入院当日は
いてもたってもいられず、病院へかけつけました。
とりあえずの危険性はないとのことで、安堵で膝から崩れ落ちましたね。
なんというか、妻とはまた少し形の違う悲しみとショックが大きく、
元気でクセのあった父が弱った姿を見ると、心の底からいたたまれない気持ちです。
父の存在
僕にとって父は、生まれて初めて「尊敬」し「憧れる」存在でした。
仕事から趣味嗜好にいたるまで、“自慢の父”であると言えるし、
大きな影響を受けています。
またそのために、その背を追い「認められたい」と思っていた時期が
あり、虚勢を張ってしまう事もありました。
でも自分が家庭を持ち、子どもが生まれ育てていく中で、いつしか
そういった気負いや衒いなども無くなっていき、
最近、やっと素直に向き合って話しをできるようになった所でした。
父への想い
父は昔から時おりナンセンスな冗談で家族を笑わすような明るい人でした。
しかし、その人となりを知るような話や、個人的な考えを深く話す、
といったことはあまり記憶にありません。
なので、その行動から父の考えや性格を知り、推し量った面もあります。
よく知っている様でよく分からない、
近くて遠い存在だと感じる事もあったほどです。
しかし、自分がこの歳と環境になって、ふと「あ、父はあの時こう思ってたのか」
とか、「あ~なるほど、こういう性格からか」と、
目の前の状況から起こる感想や感情から父の事を理解することがあるのです。
もちろん僕の一人合点かもしれません。でも、
普段の自分とは違う意識な上、記憶と照合すると分かるんです。
これは「血」です。
そんな時、父を身近に感じるどころか、自分の中にはっきりと父の存在を
感じます。
これはちょっとしんどいんです。わざわざ報告できないし、一方的に
思慕の念が募っていってしまう。
「父さんがあの時ああ言った時の気持ちは分かった。でも僕はそれで
傷ついたんやから、悪いけど僕はそうしない。逆の行動を取るよ。」なんて
心の中で語りかけ、反面教師にしたこともあります。
回復を信じて励まし続けるしかない
とまあこんな話を書いてると亡くなったみたいですが笑
ただ、以上の様な事から、幼児期依頼、また父と「ただの父子」として
これからが楽しみだった矢先の出来事なので、やはり本音は辛いです。
でも、脳梗塞のリハビリでは回復著しい場合も多々あるし、
何より本人も頭もしっかりし、リハビリも頑張る!と言っているので、
僕や家族は回復を信じて、希望を持って前向きに父を励まし元気づける事しか
出来ません。また、それが父にとっても自分達にとっても
取るべき最善の姿だと思っています。
頑張れ父さん。また家で鍋つつきながらくだらない話出来ることを待ってる!
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