人生を変える一言

僕の中高時代にできた友人は、なぜか両親が離婚した“片親”が多いです。
自慢じゃないけど友人は少ない方ですが、それでも8~9割が両親が離婚してたり、
育った家庭になんらかの問題があった人間がほとんどです。
そんな中、両親も揃っていて、比較的裕福な家庭で育った僕は“稀”な存在でした。

ドロップアウト予備軍

小学校高学年以降、洋楽ロックに目覚めていた僕は、同級生と
あまりなじめませんでした。
当時台頭してきた「J-POP」などは、言葉を聞いただけで虫唾が走る思い
だったように記憶してます。
そんな中、中学に上がりロックなど同じような趣味嗜好の合う友人が
チラホラと出来始め、やはり彼らも僕と同じような“居心地の悪さ”を感じていたようで、
10人に満たない僕らグループは急速に、固く仲が良くなりました。

ただ当時はまだ中学生。しかも僕らは“不良”ではなかった為、
家庭環境がどうあれ、基本的には学校にも毎日行き、
授業にも出て、周りとも普通に仲良くし、卒業まで無難に過ごしていました。

高校でほぼドロップアウト

高校に進学するとまた違った友人がたくさんできました。
しかし特に仲が良くなったのは、やはり両親が離婚していたり、
なんらかの問題がある家庭に育った人間でした。
中高で出来た友人たちは皆個性が強く、そしてどこか“破綻”していたような
気がします。そんな彼らは時折、言動や行動が突き抜けており、
そんな彼らといると心から楽しかったのです。

僕は高校2年で初のバンドを組んで以降、学校内、外で様々なバンドを組み、
頻繁にライブをしていました。
僕自身、当時は激しい音楽のバンドを組んでいたこともあり、
また様々な人の影響もあって“突飛”なガキだったと思います。
次第に勉強もしなくなり、学校は行けど放課後は遊び惚ける毎日を
送るようになりました。

でも実際は、家に帰るとちゃんと温かい食事を用意してくれている母がいて、
仲のよい暖かい家族に属し、何不自由ない生活があります。
一方、仲の良い友人たちは、夜遊んで別れる際コンビニで「今日の夕食だ」と
コンビニ弁当を買ったりしています。

僕は、何か言い知れない“後ろめたさ”や“気恥ずかしさ”、
逆の意味での“劣等感”を感じていました。
要するに僕の「破天荒」はニセモノで、結局はポーズだ。という事を
無意識に感じていたのかもしれません。

 

友人からの人生を変える一言

その後、僕は私立の芸術系の大学に進学し、無為な学生生活と
バンド活動に明け暮れる訳ですが、中高時代の友人たちは皆働き出しました。
そして21歳くらいの頃、中学校から特に仲のよかったH君とある時話をしていて、
彼が高校卒業後に就職した看板屋で、今どれほど稼いでいるか、
それによりどんな生活を送っているか、という事を聞いており、僕が
「ええなー、俺も働こかな」と言うとすかさず彼は、「kenboちゃんには無理や。
kenboちゃんは大学で楽しく過ごしてたらええ。」
と言いました。
僕はその言葉の裏にある「ぬくぬくと何不自由なく来たおまえに、現場の厳しい仕事が
出来る訳がない」という意思を感じ取り、しばし口を開くことが出来ませんでした。

ショックでした。
中学校から薄々感じていた自分と彼らの溝、仲はいいけど感じる見えない距離、
後ろめたさ、矛盾。それを、友人の中でも特に親友とも言える、尊敬もする彼に
面と向かって突き付けられた気がしました。
心の中で「ああ、やっぱりそう思われてたのか」という自身への失望と虚無感。
今思うとそこまで深刻に感じる必要などないのですが、当時は自分が“ニセモノ”だと
烙印を押されたように感じたのです。
彼に怒りは全く感じず、ただただショックでした。

しかしその後、色々と考え「あいつを唸らせてやる」と決心したのです。

 

就職をして

大学卒業間際で、僕は先生の紹介で施工管理会社に就職します。
主に商業施設の店舗の施工管理で、ヘルメットと作業着でいわゆる現場監督の仕事です。
荒れた人も多い建設の世界で、それはもう今までの世界観が崩れるような厳しい毎日で、
就職初日から精神的・肉体的にもしんどいと感じるような日々を送ります。
今思えば、勤務体制から人間関係にいたるまで、今見てもかなり“ブラック”な面もありましたが、
なんとか2年、勤めました。

今思えばたった2年ですが、その間「いつ辞めよういつ辞めよう」とばかり考える日々で、
3人いた同期も、1年で皆辞めていき、一人かなり厳しい毎日でした。

しかし考え方をその都度アレコレ変えて、なんとか2年休まず勤めていたのは、
親友のあの一言があったからです。

同じ現場仕事の彼に、なんとか認められたい。「頑張ってるなkenboちゃん」と
同じ目線で自分を見て欲しい、そんな気持ちが僕を鼓舞させました。
おかげで、当時のたった2年で今までの甘っちょろい根性をすっかり叩きなおされ、
性根を入れ替えさせてくれた、と今ではありがたく感じています。

 

あの時の、彼のあの一言が、僕のその後の人生に大きく影響を与え、
また自分を変えるきっかけとなった事は、ほんとにありがたいと思っています。
あの一言がなければ、今の自分はないかもしれない、とまで思っています。

 

その後退職してから、また色々と問題を起こし、親に勘当を受ける始末になるのですが、
それはまたいづれ・・