ビートルズ強化週間~②

さて、“看護師妻”と関係のないビートルズ談義を続けていく訳ですが、
「ビートルズ大好き」というのも僕という人間を形作る要素の1つなので、
気にせず続けます。
でどこまで話したっけ・・

②曲の魅力

【中期】
中期は複雑です。
楽曲にしても技術的にもいわばビートルズの「変革期」とも言え、
それは彼らのパーソナルな部分も起因していると思います。
要するに“大人になってきた”という事です。

例えばジョンは1964年以降、アルバム『ヘルプ』以降くらいから、
自身を見つめなおし、今までの自我に自信を無くすなど、
精神的に落ち込む状況があり、それがゆえにドラッグに走りハマった、という点もあります。
アルバム『ラバーソウル』の「ノルウェーの森」「ひとりぼっちのあいつ」
『リボルバー』の「シーセッドシーセッド」「ドクターロバート」など、
自身の経験や体験を元に作成した楽曲が増え、それが“内省的”と言われるゆえんです。
このあたりの、以前の髪を振りながらラブソングを歌うアイドル然としたイメージとは
異なった姿が、またファンにとっては魅力に感じるのですが、
楽曲にしても、成熟し深みを増したのは間違いありません。

一方ポールはというと、『ヘルプ!』での「アナザーガール」あたりからすでに
ソウルなどのブラックミュージックへの傾倒が伺え、
それが『ラバーソウル』以降のベースの奏法やサウンドにも顕著に表れてきます。
実際、「ドライブマイカー」は、オーティスレディングの「リスペクト」をヒントに
曲作りをしたといった有名なエピソードがありますし、
あまり指摘されませんが「ひとりぼっちのあいつ」のベースは、確実にジェームス・ジェマーソン
に影響を受けています。
他にもジョンの曲「愛のことば」、ジョージの「タックスマン」などのベースラインでもそうですが、
この頃特にポールは、かなりソウルを聞き込んでいたんじゃないかと思います。
同時に『リボルバー』あたりからポールのコンポーザーとしての真の天才性が発揮され始め、
バンド内で占める位置も、ジョンにとって代わっていきます。
『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』などは、その集大成としての
“ポールのアルバム”だと言っても過言ではないのでしょうか。言い過ぎかな。。

『リボルバー』での「エリナーリグビー」ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア「フォー・ノー・ワン」
『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の
「フィクシングアホール」「シーズリーヴィングホーム」などの、
いわゆる“ロックっぽくない”超名曲を生み出していきます。
ジョンはこの頃ドラックの力を借りた実験性に満ちた曲や、楽器編成的にはシンプルなロック曲など
を作っており、このあたりの2人の対比はかなり面白いです。
と同時に、この多彩性が、ビートルズというバンドが他のロックバンドとは違う、
唯一無二のアーティストだということを決定付ける事にも繋がります。

そして最後に、楽曲で言うとこの中期あたりからジョージの才能開花も
重要になってきます。ただ、まだ“ビートルズ内”では発展途上扱いで、楽曲採用はいまだ
不遇を囲っており、作曲家として2人に横並びするにはもう少し時間がかかります。
この頃のジョージと言えばインド。シタールを始めインド楽器を楽曲に取り入れ貢献し、
また思想面でも他のメンバーに少なからず影響を与えています。
彼の曲で言うと後の「ヒアカムズザサン」繋がる恋をするならを『ラバーソウル』で発表。
次の『リボルバー』では「タックスマン」を、自作曲では初めてアルバム1曲目に採用。
※ただしこの曲の完成度はポールの貢献による部分が大きいと思いますが。
また同アルバムで、ラ―ガロックの走りとも言える「ラブユートゥ」を作り、
このままインドとロックを融合させるのかと思いきや次の『サージェント~』では
純粋にインド音楽を本格化させた「ウィズイン・ウィズアウト・ユー」を作成。
このあたりのピュアな部分はジョージの大きな魅力の1つです。

正直エライものをテーマに書き出してしまったな、という気持ちがあります。
終わるのか・・まだ魅力の1つである曲、それも中期の記事です。

ここまで書いたし書いてる本人は楽しいので続けますが、
これ誰かの参考になるのか・・?